bloodthirsty butchers 吉村くんの事

僕は少年ナイフというバンドのマネージャーをしているので、立場上他のアーティストの方には「さん」付で話しかける。今の若い人たちは別だよ。ここまで年が離れちゃうと、さん付で話すといかにも空々しいし…。

ともあれ、ずっと僕は彼の事を吉村さん、って呼んでた。それがいつ頃からだろう「吉村くん」と呼ぶようになったのは。

ブッチャーズとの出会い。

それは少年ナイフが当時MCAビクター(現ユニバーサル)に在籍していた時、僕たちを担当していたディレクターがブッチャーズを手掛ける事になり、彼を通して教えてもらった事から始まる。

そして彼からブッチャーズを担当するにあたって、まずトリビュートアルバムをリリースしたいのでなおこさんに一曲リミックスしてもらえないか、とオファーがあった。

そこで、なおこさんはブッチャーズの「アリゲーター」という曲のリミックスをさせてもらう事になった。ボーカルトラックだけをもらったので未だに原曲がどんなアレンジの曲なのかは知らない。彼女のリミックスは「雪山ホラー」みたいな音像に仕上がった。ブッチャーズの皆はどう思ったんだろうか。

その一連のプロモーションの流れだったと思う。(「未完成」の時だったかな?)雑誌の記事でなおこさんと吉村くんが対談をすることになり、それはブッチャーズがリハーサル?いやレコーディング?をしていたスタジオで行われた。なおこさんと僕はそこでブッチャーズのメンバーと初めて会ったんだと思う。

対談の中で一番憶えているのは、吉村くんが地元の北海道から東京に出てきた時の想いを語ったくだりで、彼が話をしているその場にいると彼の気持ちや言わんとすることがよくわかるんだけど、彼自身はそれをなかなかうまく言葉にできず、でもなんとか説明しようとしていた。

そして「未完成」がリリースされた。いいと思った。サウンドと歌詞、バンドの佇まいが素敵だ。どこかルースターズに繋がる流れも感じた。

ちょうどその頃、音楽業界で働く共通の知人の結婚パーティに呼ばれた事があった。顔の広い方だったんで、さぞや盛大なパーティになるんだろうと思いきや、ゲストとして呼ばれたのはブッチャーズとナイフだけであとはご両家の親族のみ。至極プライベートなものだった。ブッチャーズの3人の礼服姿がいかにも借りてきたみたいでとても微笑ましかった。

パーティの席上で吉村くんが「主賓」として挨拶をした。以前の対談の時と同じく、その場にいる人たちには彼のお祝いの気持ちが十分伝わるスピーチだったが、吉村くんはそれをうまく言葉にするのに額に汗しながらがんばってた。

そこからはお互いのライブを観に行ったり、少年ナイフのイベントに出てもらったりするようになった。一番はじめは少年ナイフの自主企画ライブでブッチャーズとモーサムトーンベンダーの3組でやった時じゃないかな?

2000年頃、時を同じくブッチャーズもナイフもユニバーサルとの契約が終わって、それぞれ別の道を歩むことになった。

2つのバンドはすごく仲がいい、という距離感ではなかった。

住んでる場所も大阪と東京だったし、メンバー同士でオフの日に会ったりとか頻繁に連絡を取り合ったりとか、という関係にはならなかった。

だけどそれぞれ新作が出た時は音源を送ったり、お互いのライブを見に行ったり、イベントで顔を合わせた時は近況をなんとなく話したり、と付き合いは続いた。楽屋で話をするとき、吉村くんはいつもちょっと照れくさそうにしていた。

ブッチャーズとナンバーガールが大阪のベイサイドジェニーでやったライブも観に行った。終演後、ナイフのメンバーと楽屋にあいさつに行くとそこには向井さんやひさ子さんもいて、その二人がとてもニコニコしてたのが印象的だった。

ブッチャーズのメンバーがお揃いのアロハシャツを着てステージに立ってた時もあった。あれはひさ子さんがブッチャーズに加入した直後くらいだったかな?

ビートクルセイダーズがナイフとブッチャーズを盛り上げてくれた時もあった。一度は大阪のなんばハッチのビークル主催ライブ。ゲストがキリト小5(これも僕の昔からの知人の息子)、ナイフ、ブッチャーズ。みんな知ってる顔ばっかりなんで楽屋がとても楽しい雰囲気だった。

また北海道のライジングサンに出演した時、出番が終わってメンバーと晩ごはんを食べようと楽屋エリアをうろうろしてたら吉村くんに遭遇。一緒に飲もうか、という流れになった。

ちょうどそこの飲食ブースはジンギスカンがセルフでできるようになっていたんだけど、吉村くんは自ら食材を取ってきて、しかもそれを自分で焼いてくれてのジンギスカン奉行。

途中でビークルのヒダカさんも合流してとても楽しかった。

その時、吉村くんはお酒を飲みつつ話に興じながらも一時もジンギスカンを焼く手を緩めず…ああ、この人はすごいマメな人なんだなぁ、と感心させられた。

ナイフが東京のFEVERでワンマンをやった時の事。

リハーサルでなおこさんがメインで使っているギターの音が出なくなった。どうやらケーブルを差すところの部品が壊れていそうだ。楽器屋で部品を買ってきてあれこれやっても、どうもちゃんと音が出ない。

本番の時間も迫ってきてこれはサブギターでやるしかないな、とあきらめていた時。吉村くんが息子と二人でふらりと楽屋に現れた。これ幸い!とギターを見てもらったら壊れていたと思っていた部品をパパっと直して、音が出るようにしてくれた。僕もちょっとはギターがいじれるんだけどこれには脱帽。そのギターはライブでずっとちゃんと使えてた。

一緒に海外でライブをやった事もある。

吉村くんの音頭で台湾のThe Wallというライブハウスでの共演が実現した。MASS OF THE FERMENTING DREGSも出てて、両者は台湾でのリリースがあったのでちゃんとファンが付いていたんだけど、少年ナイフはちょっとアウェーな感じだったっけ。

ナイフは北京と上海でライブやった流れでの台湾。ブッチャーズも恐らくはバタバタな行程でのライブだったんだろう。終演後はみんなお疲れモード。吉村くんも「さすがに今日は自信ない。」って言ってたけど、深夜の打ち上げ、台湾料理の円卓を囲んでブッチャーズのいつもの顔ぶれと話をするのはとても感慨深かった。

映画「kocorono」は大阪で観た。ヒョンな事からワッツーシゾンビのじゅげむくんとレッドスニーカーズのテルくん、クリトリック・リスのスギムという面子で…。

映画の中でブッチャーズが大阪ファンダンゴでライブをやるシーンがあるんだけど、その時に吉村くんは少年ナイフのTシャツを着てくれてた!そして映画のエンドロールのThanks欄に「少年ナイフ」の文字が。これはとてもうれしかった。

観終わったあと、焼き鳥屋でみんなで感想などを語ったんだけど異口同音に「重たかった」との事。これはちょっと意外だった。少年ナイフにももっと重たい局面はいっぱいある。ブッチャーズもそうだろう。例えは悪いかもしれないけど、僕は「スパイナルタップ」の時と同じようにうなずきながら観てた。

ゼロレコードの頃はよく知らないんだけど、僕が関わってからの少年ナイフはメンバーが進んで「バンド仲間」をつくって交流を広げていくタイプではなく、日本の音楽シーンとの接点もあまりないので、気が付けばブッチャーズが一番近い距離にいるバンドになっていた。

個人的にも思い出した頃にブッチャーズのHPを訪ねては、今彼らはどうしてるんだろう?とチェックを入れたりしていた。そんな時、彼らはアルバムをリリースしたり、移籍したり、ライブをやったり、フェスに出たり、他のバンドと何かやってたり…常に動いていた。辞めることなく。

お互いがそれぞれに活動を続けていて、たまには一緒に演って、またそれぞれの場所に帰って。

この日本の音楽状況の中において、そんな事ができる相手がいることの大切さを今思い知らされている。

昨年初頭、HMV GET BACK SESSIONでブッチャーズが大阪のシャングリラで「未完成」の再現ライブを行った。

終演後、楽屋での吉村くんとの会話。

まず、フェンダーのスクワイアから発売されたJ Mascis Jazzmasterについて。これはかなりおススメの一本らしい。「ジャズマスター」マスターの彼が言うんだから間違いない。

そして、「また、一緒にライブ演ろうよ。」とオファーを受けた。「原爆(オナニーズ)とかどう?」とも。「それは面白いんじゃないかな。」と言うと「じゃ、タイロウさんに電話してみようかな~。」でその場は終わった。

続く7月。少年ナイフが自主企画ツアーで名古屋公演を行った時。タイロウさんが遊びに来てくれて、次の原爆主催の「お年玉GIG」に出演のオファーを直々にもらった。もちろんOKだ。そして、原爆・ナイフ・ブッチャーズの3バンドでやりたい、とも。ああ、吉村くん、ちゃんと根回しをしてたんだな、と思った。

かくして、今年の2月17日(日)に名古屋クアトロでナイフ、ブッチャーズが出演しての原爆主催「お年玉GIG」が決まった。では、折角なんで前日の土曜日に同じ顔ぶれで東京でライブをやらないか?と提案してみた。残念ながら原爆はメンバーの都合もあり、ライブが出来ないとの事。

じゃ、ブッチャーズとナイフで演ろう!という流れになり、なおこさんのネーミングで「2.16 渋谷ロック革命」が実現した。

当日はまず、ブッチャーズのステージ。続いてナイフのステージではひさ子さんがナイフの衣装を着ての飛び入り!アンコールでは2バンドの全メンバーがステージに上がってのセッション!「ファウスト」とラモーンズの「電撃バップ」。

そのアンコール前、ステージ袖で控えていた吉村くんが僕に、「じゃ、次は柴田さん、歌ってよ!」と言ってきた。もちろん、そんな事できるワケないんだけど、「僕でいいの?じゃ、なんぼでも歌うでぇ~。」と返したら彼は「『なんぼでも歌うでぇ』か。それ、いいな!ワハハ!」とすごく愉快そうに笑ったんだ。

続く名古屋。ブッチャーズ、ナイフ、原爆の出演順。アンコールでは奇しくもラモーンズのカバー。出演者がステージになだれ込んで盛り上がった。

終演後、片づけも終わった頃かな、吉村くんが「今度は柴田さん、歌ってよ!」とまた言ってきた。彼は今まで僕にそんな感じで絡んできた事がなかったんだけど、とりあえず次に彼と会った時にはなんか歌えるようにしといてやろう、と大阪に帰ってからギターを引っ張り出してきた。

またその時に、「今回、東京と名古屋で一緒にライブして思ったんだけど、ブッチャーズとナイフで細かくツアーをやろうよ。東北がいいな。この二つのバンドでちゃんとしたライブを観せたら、絶対に付いてきてくれる人がいると思うんだ。経費もかかると思うけど、そこは女子チーム、男子チームに分かれて大部屋に泊まってとかでいいじゃん。」と新たなオファーを受けた。

週末を使った東京、名古屋、大阪でのライブならともかく、細かく回るとなるとそれなりに段取りを立てないといけない。なので「じゃ、こっちでも考えてまた連絡するよ。」と言って別れた。

このツアーの件、まだ吉村くんに返事できないでいる。

TOMATO HEAD 柴田 篤