ヒデ子ママへ

私が吉村センパイと初めて対面したのは2003年の712Day Partyのとき。
当時私がやっていた京阪GIRLとbloodthirsty butchersが’712Dayのゲストだったのだ!!
そのときは緊張して打ち上げでなおこさんと話すこともままならず、ブッチャーズのみなさんとは一言も言葉を交わせなかった。
ただみんなの会話を聞くので精一杯だった。
ブッチャーズのライブを生で見たのもこのときが初めてで、私はひさ子さんが加入してからの4人のブッチャーズしか知らない。
「8月」のギターが耳をつんざくような、なんだか悲しい音色だったのを強く覚えている。

そのあと少年ナイフに加入してから、私が一番対バンしたバンドはブッチャーズだった。
東京のライブのときに一番遊びにきてくれたのも吉村センパイとひさ子さんだと思う。
吉村センパイがライブに遊びにきてくれたときに、私とセンパイの服装が、ナイフのフリータイムTシャツとマーチンのブーツにパンツまで同じ!ってことがあった。
そのTシャツは、映画kocoronoのときに(多分大阪のライブの日)も着てくれていた。
その頃から自然と吉村センパイとうちとけて話せるようになってきた。
やっぱり見た目がコワモテ(失礼!)なので、なかなか自分から話しかけにくかったけれど、話してみるとすんごいきさく!
センパイは多分シャイでちょっと人見知りなとこがあるんだなーと勝手に思って勝手に懐いていた。
そしたらいつぞやのツイッターでヒデ子ママから「いつも仲良くしてくれてありがとうね!」ってリプをもらってほくそ笑んだことも。
ヒデ子ママと言い出したのは、ツイッターでのキャラと名前が当時ヒデ子ママだったから。
なぜおねえキャラなのか今思えば不思議だけど、なんかの照れ隠しなのかな?

台湾でもライブ一緒にしたなー。
翌朝 早いフライトだったけど朝方まで打ちあがったり。

2010年のフジロックのアーティスト専用のケータリングブースにラコスバーガーが出店していたのだけど、そこでなんと吉村センパイがお店のお手伝いをしていた・笑
期間中何度かラコスバーガーを食べに行くと必ず吉村センパイがいて、こっそりビールを奢ってもらったり。
いーのいーの!もってけ!なーんっつてね。
夜はヒデ子ママの相談室とかなんとかをやっていたらしいけど、それにはいけなかったのを少し後悔。
センパイは一見ぶっきらぼうに見えるけど、多分マメで面倒見のいい人だ。
本当にみんなに愛される兄貴分、ロック番長、そしてママ。

ああなんだか未だに信じられない。
2月に一緒にステージ立ったのが昨日のことのようで、ものすごく遠い昔みたいだ。
同じステージで聴いたセンパイのギターの音色は客席から聴くよりもずっとちから強く、そして何故か悲しかった。
無造作に弾くフレーズや、ジャーン!っていうストロークの音を聴いただけで何故か胸がぎゅっとつかまれるみたいだった。
もうあれを生で聴くことはないのだと思うと残念で悲しくて仕方ない。

シバタさんのBlogでもあるように、名古屋のお年玉GIGの終演後に吉村センパイがいつもよりも熱弁していて、「今年か来年一緒に地方周ろうね」っていう吉村センパイの言葉に私たちは無邪気に地方一緒に周りたいー!ってはしゃいでいた。

渋谷のロック革命の日のアンコールでセッションした映像を見て溜めていた想いが一気にあふれ出した。
http://youtu.be/qPJFIULXk-s

そんな仲良しこよしだったわけでもなんでもない私ですらこれほどショックなのだ。
身内の方やファンの方々の心情ははかり知れない。

ブッチャーズは、ひさ子さんが加入した以外はひとりも抜けることなく初期メンバーのままで25年周年を迎えるという、奇跡的なバンドだと思う。
吉村センパイが、ツイッターで最高傑作になったと呟いていた、次の作品をいつまでも楽しみに待っていよう。

本当に、「ロックに言葉はいらない」・・・ね、ヒデ子ママ。

私はまだまだロックを続けたいと、このアンコールセッションのビデオを見て改めて思ったよ。